須弥山
それだけに様々なその人と人との間煮物煮すぎて大変敏感に感じることのできる環境に育ったのかなと思います。
はい洛中中心の差別意識って言うのこれは誰でもが持っているものかもしれません。
けれども人間との基本的に自ら行列を作っていくってのが人間かもしれないと先ほど申してました。
でも人は一人で生きていくことができないっていう生き物でもございます。
つまりお互いが助け合っていく共に暮らすということでないとこの生活が成り立たない理由でございますね。
一人でお米作った手作り来ない理由でございましてそのお米の作り方って誰誰に聞いたんだって先人の知恵がそこにあるわけでございます。
たくさんの過去の人たちそして現在私たちの周囲にいるたくさんの方々の力っていうのがけしちゅうされて今の自分一人一人がいるんだっていうことを考えました。
時に真に人っているのが人と人との関係によって幸福不幸というものを感じるのかもしれないなという風に思います。
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